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中川義雄のプロフィール 生い立ち・これまでの歩み
わがふるさと 〜過酷な開拓に挑んだ父母に大きな誇り〜
学生時代 〜鮮やかによみがえる思い出深い青春の日々〜
道庁時代〜地方の国際化にさきがけ北方圏構想を立案〜
道議会議員時代、そして〜「21世紀は、北の時代」確信し、夢実現のため〜
頑張る参議院議員〜農林水産問題中心に政策提言、課題解決の切り込み隊長〜




わがふるさと〜過酷な開拓に挑んだ父母に大きな誇り〜
 北海道十勝管内の南端に位置する広尾町の豊似地区。豊似は日高山脈を源にし太平洋に注ぐ豊似川と紋別川に囲まれた小さな原野の中にあります。昭和13年3月14日、私はこの地で9人兄弟の末弟として生まれました。(兄は故中川一郎元農林水産大臣)。夏は冷たい霧がたちこめる日が多く、畑作さえ適さない過酷な自然条件で、酪農が唯一の産業。こんな厳しいところに入植した父母を恨めしく思ったことさえありましたが、だれの手も借りずに、この北の荒野に挑戦し、ひるむことなく開拓を進めて、われわれ9人の子供を立派に育ててくれた父母に、今はただ感謝あるのみ、私の大きな誇りです。


学生時代〜鮮やかによみがえる思い出深い青春の日々〜
 昭和28年4月、あこがれの帯広三条高校に入学。日本全体も帯広も、戦争の傷跡はいまだいえたとは言い難かったけれども、私にとってはかけがえのない青春時代でした。「自由とは」「民主主義とは」「正義とは」などと、目を輝かせて先生や友人と語り合ったものでした。
 同32年4月、神奈川大学工学部へ入学。一浪までして入ったのに、就職目的の技術訓練主体の教育内容に失望。生意気にも「人生とは何か」を求め、昼間は名曲喫茶で音楽を語り、夜は野毛のネオン街をさまよい、やがて安保反対運動の嵐の中へ。結局、学業を中途で断念し、同35年晩夏、故郷へ帰ることとなりました。



道庁時代〜地方の国際化にさきがけ北方圏構想を立案〜
 昭和35年9月広尾町役場に就職後、上級職試験(法律)に合格。同37年4月、道庁へ入り、宗谷支庁勤務を命じられ、稚内市へ。
ここで妻裕子とめぐり合い結婚。地方労働委員会出向後、同41年5月本庁勤務に戻ってから同53年7月の退職まで企画系統の仕事に終始しました。ここで総合計画の策定に参画し、北海道経済の将来を模索する中から「北方圏構想」を立案。その後北方圏主査として、「北方圏構想」の推進に専念し、北方圏環境会議や北方圏センターなどを実現させてきました。



道議会議員時代、そして〜「21世紀は、北の時代」確信し、夢実現のため〜
 北海道の限りない可能性を最大限に引き出す「北方圏構想」の夢を実現するため、政治家への転身を決意。昭和54年、十勝管内から道議会議員に初当選して以来、連続5回当選。道議会農務農地開発常任委員長、道議会自民党議員会政審委員長、自民党道連政調会長などを経て平成7年、道議会議長就任。「道民に開かれた、わかりやすい道議会」を訴え、自らの公務をすべて明らかにするなど、慣例にとらわれない議会運営を心がけ、私なりに重責を精いっぱい果たすことができました。
 政治の道を志してちょうど20年目。私は再び初心に帰り、全国的視野から北海道を見つめ直し、北方圏の夢を広げたいと考えました。




頑張る参議院議員
〜農林水産問題中心に政策提言、課題解決の切り込み隊長〜

 平成10年7月の参院選(北海道選挙区)に初めて出馬し、当選。
 北海道の基幹産業である農林水産問題を中心に、緊急課題の解決、恒久対策の樹立に力を奮っています。また、少子・高齢社会対策、教育改革、司法改革、社会保障充実、社会資本整備など幅広い分野で積極果敢な提言活動や政策実現行動を展開しています。
 WTO農業交渉では世界貿易機関議長案の阻止へ交渉支援議員団の一員として体を張って頑張っていますし、有事関連法案成立に向けてはその先頭に立って奔走しました。郵政事業の公社化に当たっては、「完全民営化はもちろんユニバーサルサービスを阻むあらゆる提案に絶対反対!」と一歩も譲りません。
 当選早々、都道府県議員や市町村長経験の参議一期生を集めて「地方自治研究会」立ち上げ、その代表としての地方行財政、地方分権のあり方などについて発言権を強めています。
 一期生ながら自民党総合農政調査会幹部会メンバー、法務大臣政務官になったほか、平成15年、衆議院議員総選挙後の党人事において異例の党農林水産部会長に抜擢されました。
 平成16年7月参議院選挙で再選を果たすことができました。